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03_ 言の葉の霊性
本コラムでは、「言葉(ことば)」と「言語(げんご)」を区別して使用する事が多くありますので、今回はこの「言葉」と「言語」の違いについて少し触れていきたいとおもいます。
先ず、「言語」というのは、私たちが日常的に使っている日本語や英語などの話す言語、または読み書きに使用するカナやアルファベットなどの記号のことを総称して「言語」と呼んでいます。
では、「言葉」とはどの様なものであるか。
単純に言うと、絶対的な”霊性”、つまり目に見えない量子的な力、エネルギーの様なものと捉えています。
言語で表現できない力の様な何か、意志や思想、あるいはその様な類のもの。
というような原始的かつ絶対的なエネルギーの事を、本コラムでは「言葉」と表現しています。
はい、落ち着いてください。
わかっております、まだ閉じないでください。
もっとわかりやすく説明しますので、もう少しだけ閉じないでください。
例えとして、あなたの中でどうしようもなく大切な誰かを思い浮かべてみてください。
ご家族でも、お子様でも、恋人でも、ペットでも構いません。
もうすべてが愛おしいと思えるような方を想像してみてください。
そして、その方への想いのすべてを言語で表現してみてください。
おそらく言語で言い表すことは不可能だと思います。
「ここが好きで、あそこも好き、でもこれは嫌いなんだけど月日が経って逆に好き、思い出もあるし、嫌な時もあるけど、だいたい好き、っていうか好き」
のような混乱めいた説明はできますが、言語として想いの丈を整理する事は限りなく不可能です。
しかし、その”想い”というものは、言語で表現できないだけで、今、確実に存在している力なのです。
これを「言葉」と表現しています。
この場合は、「愛」という概念にも置き換える事ができるかもしれません。
もうひとつだけ例を挙げさせてください。
これまでに、涙するほどに感動した物を思い浮かべてください。
本でも、映画でも、絵画でも、音楽でもなんでも構いません。
あなたが涙したその時、何かしらの力を受け取ったから感動したはずだと思います。
作者への想いや、作中の誰かへの同情、あるいはただただ感動して涙した、そのような事があると思います。
言語では表現できないけれども、ふつふつと沸き上がるエネルギーを確かに感じた事だと思います。
そのエネルギーを「言葉」と表現しています。
ただ、思い返してみると、本は紙、映像は記録データ、絵画も物質で、音楽も音の集まり、なだけのはずなのです。
しかし、一見無機質にも見えるそこには、人を感動させる「言葉」という力が宿っているのです。
「魂」や「念」という概念にも置き換える事ができるかもしれません。
目には見えないし、言語では表現できないけれども、確かにそこに存在する伝えたい何か、あるいは伝わる何か。
このようなものを「言葉」と表現しています。
くどくなってしまいましたが、いかがでしょう、少しご理解頂けましたでしょうか。
なんとなくで十分ですので、ご理解頂ければ幸いに思います。
さて、ここからが本コラムでお伝えしていきたい所でございます。
この「言葉」という霊性は、人間だけのものではございません。
動物はもちろん、虫、微生物、そして植物も言葉を有しています。
言葉を有しているからこそ、生まれ、交わり、繁殖し、生命をつなげようとしているのです。
そう考えてゆくと、水、空、風、火、光など、この世のすべてのものに言葉は宿っているのだと考える事ができます。
しかし、話が広がり過ぎてしまうので、「万物に言葉は宿る」という考えを持っている事だけご理解頂ければと思います。
長くなってしまいますので、次回に続きます。
次回は、「植物の言葉」について綴っていきたいと思います。